百姓は他の人間にかわって米をつくります。靴屋は他の人間にかわって靴をこしらえます、漁師は他の人にかわって魚を捕まえます。医師は他の人にかわって生命を預り。政治家はほかの人間にかわって行政を担当する。となると、知識人の仕事は他の人間にかわってものを考えることではないでしょうか?---
(「四捨五入殺人事件」 = 井上ひさし著)
先日、不毛地帯をみてて、ふと、上記の一節を思い出したんだ。
「文句があるならばご自分でどうぞ」と言われても、私は米も作れないければ靴もこしらえられない。
どんなに強い人間だと自負していようとも、ひとりで生きていける万能な人間など、そうそういないのだろう。
何気ない一言で誰かを傷つけしまったりしていることあるかもしれない。
互いの領域を犯さずに配慮し合えるそんな関係が大切なのだと日々思う。
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2009年下旬は辛いことばかりで心身ともにくたびれてしまった。
2005年に発病したうつ病が再発しそうなぐらいまいっていた。当時の恐怖に、今の自分の身丈に、目の前にある現状に愕然としていた。
不安から挙動不審な行動が耐えない毎日だった。そっと見守ってくれた人たちに感謝している。ありがとう。
そして、困っている時に「困っている」と打ち明けることができるようになった自分の成長と、打ち明けることができる人たちが周りにいてくれたという幸運にも感謝したい。
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2010年は自分にとって居心地のよい場所をきちんと作っていきたいと思っている。
まずはお部屋から、読書が好きなのになかなか自宅で読書をしないので、快適に読書できるお部屋を目指します。焦らずに毎月ひとつずつ吟味して整えていきたい。
あとは、自分の好きな事・好きな場所・好きな物をのんびり1つ1つ見つけていきたい。
それと「思いやり」かな。忘れちゃいけないし、過剰だとお節介になってしまう、もう、私も三十路です、三十路の女らしく、さり気ない気遣いをできる人間になりたい。
ああ、あと、できるだけ、踵の高い靴を履きたい!
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最近、誰かに守られてみたいという気持ちが高まったりすることよくあるけど、孤独はひとりで耐えるものなんだ。
プロポーズから結婚までの時間はすごく憧れるけど、すぐ離婚しちゃったら意味ないでしょ。
自分とピッタリ合う人なんてそうそういない。そりゃ、そろそろ子供もほしい。でも、なによりも自分自身を生きたい。その人の子供が欲しいと思える人が現れるか、一生その人の隣にいたいと思える人が現れるまでは、孤独はひとりで耐えるべきなのだろう。
もし、仮にそんな人が現われなかったらと思うと不安になるけど。
その時は失うものは何もないと開き直り自分自身を貫くことに邁進すればいいじゃないか。